可視化社会は安全か?ビッグデータは誰のもの?
GPS(衛星測位システム)を使った警察の捜査についてのニュースを見ました。
GPSはスマホにも付いていて、道案内だけでなく、検索時に最寄りの店がでてくるのはそのおかげ。
子どもの帰りが遅ければ、「どこにいるのか」をiphoneを探して検索、
認知症老人にもペットにも標準装備が望ましい・・・かもしれない・・・
それとは別に、最近小説「1984年」が売れているという話を聞きました。
「1Q84 」ではなくって、本家ジョージ・オーウェルの方
核戦争後の超監視社会を描いたSF
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これまでも折に触れてブームになってきましたが、トランプ政権誕生後、日本でも売り上げが伸びているそう。
今日行った本屋では平積みされていました。
30年以上前、まさに1984年に買いましたよ、わたしは。
しかし読み切れず放置。
まだ実家の段ボール箱にあるかしら(笑)
あの時代(わたくし大学生)にはソ連という国があり、冷戦下、反共が正義っていうなかで読むと、また違った嫌悪感があった気がする。
読み切れなかったけど(笑)
うろ覚えで語ることはできないけれど、小説の「テレワーク」はかなり洗練されたかたちで現実のものとなっていることは確か。
2000年頃、いたるところに「防犯カメラ」が付いていることに気づいたとき、「カメラも記憶媒体も安価になったからな~」なんて、のんきに考えていた。
街中の防犯カメラだけじゃなく、今は誰もがGPS機能つき携帯をもっている。
今は「可視化」っていい意味で使われているように思うけれど、
1984年にはそういう類のカメラの設置は「監視」目的だと捉えられ、なんとなくでも嫌なものと感じていたものだと思う。
防犯カメラのデータ提供は任意であるけれど、その前に自分の敷地に設置する分には何の問題もない。
だけどそこから映っているのは、必ずしも敷地内なわけじゃない。
マイナンバーも現実のものとなったけれど、これも元の発想では「国民総背番号」なんて言葉で忌み嫌われていた。
だいたい「スマホ」や「Tカード」で個人の行動は記憶され、その「ビッグデータ」は誰がもっているのだろう。
だからなんだと言うわけではなく、ただ人間の価値観は変わっていくのだなと思う。
技術的に可能になったことは、最初こそ違和感から批判があっても、時間とともに正しいこととして広まっていくように思う。
生きていくことって、いろいろ受け入れていくことなのだなぁとしみじみ思う。
ジョージオーウェルの「1984年」
やっぱり名著といわれるもには先駆けて価値があるものだと思う。
実家の段ボールを漁って、今度は読み通そうと思います。
SFといえば、同じく実家の段ボールから今年の正月にもってきた「アンドロイドは電気羊の夢をみるか」
ご存知(?)「ブレードランナー」の原作です。
こちらは30年前にも一気に読んだけど、
読み返したら今でもグッときました。
高校生の娘も気に入ったみたい。
SFの古典は読んでおく価値大いにありですね。
便利な実家の段ボールをお持ちでない方はこちらから(笑)
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