リケジョの子育て 初回
周りの女子は皆リケジョ
高校生の娘
夏休みはオープンキャンパスに何校かいくようです。
先週末は早稲田と慶應で開催。
今週は理科大、東工大・・・
まだ受験生ではないので、のんびり雰囲気を見に行くというノリみたいですが、このラインナップからわかるように、理系です。
レベルについては受験はまだ先なので、現実(自分の偏差値)をみることなく、有名どころから覗いているもよう。
周りのお友達も女子ばかりというのに理系。
本人たち「文系って大学で勉強する価値あるの?」みたいに思っている節があるので、純粋文系のわたしは、一応反論しています・・・
理系優遇?!
娘の場合は少し極端かもしれませんが、最近の中学・高校の現場では、理系優遇文系蔑視が少なからずあるようです。
報道でみるかぎり、国や社会全体がそんな傾向に思えます。
もちろん、人文科学を軽視する国に未来はないと思いますけど、そこはまた他の機会に。
実際就職を考えても理系は有利そうと、親の立場でも理系押しが多いんじゃないかな?
一昔前は男子ばっかりのイメージでしたが、最近はリケジョが持てはやされていますしね。
うちの場合は就職云々ではなく、母親のわたしが仕向けたきらいもあります。
高校数学で落ちこぼれたわたしは、単純に理系に憧れがありまして・・・
夫との結婚の決め手のひとつに理系男子というのがありました(笑)
娘本人は出来はともかく、好きな学校教科は理科と数学、という理系の自覚有りです。
仕向けてそうなったというのも、“違う”かもしれませんが、多少の影響はあったと思いたいのでその辺書いてみます。
自然のなかで遊ぶこと
リケジョの自覚は、夫の遺伝子も大きいと思いますが、幼児期に親が心がけたのは「自然の中で遊ぶ」でした。
保育園は田舎で、野原で長時間遊ばせてくれる様子を見て決めました。
娘三歳のときに、現在住む関東に引っ越してからは、週末はなるだけ大きめの公園に連れ出していました。
都会だと自然に触れ合う機会がないのではと心配しましたが、実際には田舎の子育てよりも、都会の方が外遊びに関しても選択肢があります。
地方に住んでいるからといって自然のなかで子どもだけ放っておいて遊ぶなんて、あり得ない時代です。
自然が残っているようにみえて、地方でも農業が行われていれば農薬が撒かれます。そのせいで虫とりや川遊び、泥んこ遊びで、のびのび遊ぶなんて夢のようなこと。
その点むしろ都会の大きい公園のほうが、農薬が撒かれていないだけ、虫や雑草の種類豊富だったりするようです。
我が家ではプレイパークや自然教室なんていうのも積極的に参加しました。
これも都会の大きめ公園では頻繁に開催されています。
多様性では自然に勝るものなし
自然のなにが良いかは、なんといっても種類の豊富さ。
出来合いのおもちゃと違って、ありとあらゆるものが全て違う。
同じ種類の植物でも虫でも、個体差があって同じものはふたつとない。
その多様性あふれるなかで、どこが同じだと同じ種類とされ、どこが違うと他種類と分類されるのか。
そんな“見て、分類”する遊びが、理科的興味には大きいのではないかなと思っています。
もちろん自然のなかで、文系的想像力に結びつく子もいるでしょう!
どちらにしたって、なるだけ自然の中で遊ぶって大切なことだと思います。
幼児期に自然のなかで遊ぶことの大切さはいうまでもないという方、同感です。
流行りの脳科学者なんかも必ず言います。
わたしはそれに深く納得しています。
なにも大自然でなくていいんです。
アスファルトの隙間に生える草にも、駐車場わきに生える小さな草むらにいるありふれた虫、ベランダに落ちている蝉の死がい・・・そんなものでも子どもが興味をもったら無下にしない。・・・蝉の死がいはえ~と言われるか(笑)
子どもの好きにさせて、興味がありそうなら図鑑など与えてみるといいと思います。
知識のために図鑑だけ与えたって、食いつきはしませんもの。
アウェイ感のなかでの子育て
子育てを通じて知り合ったママ友たちの多くが、子どもの泥遊びや虫、魚採りなどを嫌がっているのを残念に思っていました。
そのくせ文字など早く教えたがっていた。
そんな周りの大半のママたちに違和感をもっていたあの頃。
10年たって、そういうママ友の存在とは無縁となってすっきり(笑)
とりあえず、娘はねらいどおりのリケジョです。
※ この記事は別ブログ「からだの棚卸」から移行しました。
(元記事は2016年8月8日 一部修正アリ)